とうとう6回目になりました。今回は「受け入れること」
私たちは、みたいものを見て、見たくないものを見ない傾向にあります。
これは昨今のSNSなどでも顕著です。「興味のあるものや、価値があると信じているもののみが見えて、それ以外のものは見ないようになっていく」アルゴリズムになっている私たちの生活では、ふと今まで出会ったことのない、不可解だったり想定していなかったりするものに出会うと、「なんだこれは、気味が悪い」「異常だ、キモい!」というふうに拒絶してしまう癖がついています。
しかし、世界にはいろんな人がいるんです。自分の知らないことも、自分の見たことのないものもたくさんある世界で生きている。自分が想定できることなんてほんの一部です。思い通りじゃない部分を「受け入れること」を忘れると、私たちはこの世界がとたんに生きづらくなってしまいます。
受け入れること
受け入れる、というのは、ありのままをそのままに見るということ。体が痛いなら、痛いという状態をそのままに見つめます。
「そんなの当然じゃん、世の中のことをちゃんと受け入れているよ」と思いつつも、人間受け入れることは難しいものです。
例えば、自分が重い病に罹り、死を意識するといった場合、キュブラーロスという精神科医は、受容に至るまで5段階の状態を経ると言っています。まずはその状況を否認し(死という事実を否定し、人と距離を置く)怒り(否定できないことを自覚し、どうして私が!という思いに苛まれる)取り引きを行い(死から逃れるため、何かにすがろうとする)抑うつになり(死から逃れられないと悟り、気分が落ち込む)そしてやっと受容(受け入れ、心を平穏に保てる)できるといいます。
私たちも、「死」という大きなテーマじゃなかったとしても、事実として起きていることを受け入れられないことがあります。例えば体の病気、例えば太っているということ、例えば人より優れていないということ。そういった事実を否定して、自分の望んでいるような状態になるんじゃないか、と夢想して、でも実際にそうならないことに余計苛立ったりするわけです。否定したり、その状況と闘ったり、取り引きをおこなったりすることは、とてもエネルギーが必要です。「理想状態じゃない今の自分は、嫌いだ」という想いのもとで過ごすと、本当に心から疲れるのは、私も経験してきたことです。
さらに、私の経験則で言うならば、「(かなり今の自分と違う)理想状態を目指そう」と思い、何かを頑張って、実際達成しても、次は「次なる理想状態を目指そう」と思い始めるので、結果いつも自分に満足していない状態になります。それでは、何かを確かに行えたとしても、その人生を生きている自分は、常に足りていない、常に不十分である、という思いに苛まれます。つまり、「不幸」な訳です。
そういう意味でも、まずは「今の自分を受け入れる」ことから始めることが、豊かに生きることの概念として大切です。「まずは自分の今の状態を、評価せずに見る」ことです。「自分の状態はどんな状態でも満足だ」とか、「健康に悪いことをしている自分もOKだ」とか、むやみにプラス評価を与えることでもありません。プラスマイナス0の状態で見るというのが近いでしょう。プラスの評価やマイナスの評価を与えようとしている自分に気づいて、その評価をしている自分にも気づき、評価を手放し、ありのままを見る。判断や、欲求、不安、偏見で変換された認識にて現実を捉えることが減り、自分の行動への信頼感、「ちゃんとやれている」感=自尊心 も生まれていきます。
自分の外に、何か想定外のもの、思い通りじゃないものが出てきた時も、すぐにそれを拒絶するのではなく、まずは「実際にそれが存在する」と受け止めてみましょう。クソみたいな上司、自分のことばかり利益を追求する友人、当日になって予定を変更してくる他人、自分と全く違う考え方をするパートナー。その存在は、あるのだから、あるのです。いくら拒絶したり、あなたがそれに怒りをぶつけても、存在自体が変わるわけではありません。まずはその存在を受け止め、そしてそれが存在するという前提のもとで、自分がどういう行動を取るのが一番幸せになるか、考えて、選択し、行動します。
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