7つのコツの最後、「とらわれない」です。囚われない、という漢字にも表されるように、一つの価値観や欲しいものに囚われすぎると、私たちはたちまち檻の中に閉じ込められたようになり、身動きが取れなくなります。
穏やかに、豊かに生きるために、囚われることを手放す重要性について、少しお話しします。
とらわれない・手放す
何かを手に入れようと、ある物事に囚われていると、そればかりを見つめてしまい、他の危険が近づいていても気づけないことがあります。
よく出される話に、猿の捕り方、という話があります。
ココナッツの殻に、ちょうど猿の手がギリギリ通るぐらいの穴が空いていて、そこにバナナを仕掛けておきます。
猿はココナッツの奥にバナナがあることを見つけて、穴に手をとおしてバナナを掴みます。しかし、掴むと今度は、握り拳はちょうど通らないサイズの穴になっているわけです。試行錯誤しながら、バナナを取ろうとしますが、手が抜けないんですね。そうしている間に、人間が後ろから来てるのに気づくわけです。気づいてその場で手放して逃げたらいいものの、後もう少しで取れそう、もうちょっとでバナナが、と手を離せず、結果人間にとらわれてしまうのです。
私たちの生活でも、こんなことばかりです。わかりやすい例で言えば何かしらの賭け事や、ゲームの「ガチャ」と言われるものはその最たる例ですし、もっと私たちの生活全般にあるかもしれないものだったら、「成功」だとか、「他者からの評価」とかもそうです。
逆に、何か辛い思いを追い払いたい、というのも一種のとらわれでしょう。「それがない状態」にとらわれることで、視野が狭窄してしまい、周りが見えなくなることもあります。でも、現実には、いくら追い払っても辛い思いも湧き上がってくるのです。なんなら、追い払えば追い払うほど、その存在は大きく見えてしまい、「それがない状態」に近づけないと感じてしまうものです。
あなたは、どんな思いに囚われているでしょう。周りと一緒じゃないといけない、こう見えなければならない。父や母として、夫や妻として、医療者として、聖職者として、あるいはこの年齢の当たり前の人として、云々。いろんな「こうじゃなきゃ」に囚われているかもしれません。
とらわれない。それは、自分の見えているものを狭窄させてしまうのではなく、周りの物事をあるがままに捉えるための方法です。何かを手に入れようと、あるいは何かを追い払おうとしているのに気づいたら、その衝動があるということに気づいて、手放してみたら、どんなことが起きるか、感じてみましょう。「またそう言った衝動が出てしまった」という風に、評価していることに気づくかもしれません。そしたら、評価したことは認めるにしても、その評価にはこだわらず過ごします。
呼吸は、その体現でもあります。一度吸った空気に拘っていつまでも体に留めていては、死にます。体は、今の呼吸に囚われずに次々に入ってくるものを認め、そして出ていくことを認めているのです。
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